野球

 皆さん、野球を好きな方は多いと思います。私も大好きです。そして多くの男性の方もそうではなかったかと思うのですが、小さいころはプロ野球の選手になりたかったんです。
 小学校の頃、年に2回町の野球大会があって、「土庄イーグルス」というチーム名で大会に出ていました(土庄は地名です)。ピッチャーでした。自分で言うのもなんですが、確かにその年齢にしては速い球を投げていました。小さな町でしたが、本気で投げたら誰も打てない(小学生以下では)と思っていました。「巨人の星」という漫画とともに野球をし、将来は巨人に入団し、永久欠番号14をつける、という夢を持っていました。
 中学校に入り野球部に。この頃の地元中学校の野球部は強く、常に県大会優勝を目指していました。当然練習も厳しい、皆うまい。こりゃ無理だ、才能なし、とプロ野球の夢は消えてしまいました。中学校では外野でした。3年生の時には2回県大会で優勝、夏は四国大会で準優勝を果たしました。しかし今非常に残念なのは、高校で野球部に入らなかったことです。
 大学に入ったら野球部に入ろうと思っていましたが、入学当時肩が痛かったので(と記憶しています)、バスケットボール部に入りました。ただやはり心残りだったので、草野球チームを作って遊びで野球をしていました。その時の仲間が2人、安佐南区で開業しています。大塚の斉藤内科医院:斉藤敏文先生と大町の神安内科医院:神安雅哉先生です。小学校の夢を、ということでピッチャー、背番号は当然14でした。
 写真は県医師会の野球チーム「バッカス」のユニホームを着た私です。2018年から参加させて頂いております。ただし、足腰肩の衰えは言うまでもありません。いわゆる「末席を汚す」という状況です。